第九回  第43回 愛媛マラソン 

まつの桃源郷ハーフ 完走賞

愛媛マラソン 完走賞

 書こう、書こうと思い題名だけつけて早4ヶ月、やっと筆をとることとなりました。

書こうと思い立ったものの、この時の思いがはたして伝わるものかとやや不安では

ありますが、思い出し思い出し書いていこうと思います。


 そもそも愛媛マラソンを走ろうと思ったきっかけは、三代目を可愛がってくれた

「みさき天然食人・永久アドバイザー」 宗さんの影響が大きいのです。

というのは昨年、宗さんは愛媛マラソン初出場そして完走をはたしました。

2人で一杯飲んでいた折、完走者だけがもらえるタオルを見せてくれ

「完走した者だけに、最後このタオルをかけてくれるんじゃ」とあずき色のタオルを

宗さんが見せてくれたので、おもわず「ください」と三代目、「これはやれんなあ」と

宗さん、というわけでこのタオルをゲットするべく出場を決めたのであります。
(昔、友達と飲んでいて「しまなみ海道」へ向かって松山を23時に出発(ママチャリ使用)
翌朝7時広島・尾道到着、22時松山帰宅(23時間自転車こぎっぱなし)と
飲みの席での決断が多い、気をつけよう)

出場する以上は完走しなければならないとは思いながらも、(出場を思い立ったのは

2004年3月なのに練習を始めたのは2005年2月、レースは2005年2/20 )  

自分との戦いに負け続け、練習を開始したのが2月初頭。

あせっていたので、ほぼ毎日「ムーンビーチ」近くまで往復、走りました。

マラソンは人生の縮図であると言われますが、まさにそのとおり、大会にでる前から

レースは始まっているのです。自分との戦いで練習をこなし、ひび努力し、

自分の体調管理(フィジカル、メンタルともに)、力の入れ加減抜き加減を考えて

ないとただがむしゃらにやってもレース前につぶれると三代目は思います。

 出場する以上は完走しないと思ったとは書きましたが、さすがに周りの人には

完走すると大見得は切れず「半分を目標に走ります」と言っていました。
(心の中では完走すると思ってました、そうおもわんと半分も行けんと思ってたから)

 レース当日、久々に宗さんとも再会し、故障した足にテーピングをまいてもらったり

いろいろ教えてもらってレースをむかえました。19キロ、29キロ、39キロと時間制限が

ありまして19キロをこすまでは自分の走りにほれぼれするぐらい余裕でこれなら3時間20分

くらいで入れるとタカをくくってました。とんでもない、24キロ地点で、体力がガクッとおち

足の豆もさけてペースダウン、5キロ間隔で給水所があり自分のスペシャルドリンクをおいて

おけるのですが25キロ地点で受け取り、そのドリンクが最後のドリンクだったのでもって

最後まで走りました。すごくエネルギーがなくなってるのがわかるんです、三代目はウイダー

・イン・ゼリーを用意してましたが、残りの距離を計算しつつ、ここまではこのぐらいしか飲んだら

いけんとか考えながら走ったり歩いたりを繰り返していました。本当にこのドリンクが命綱だったの

です。ドリンクをおく回数を増やさないかんなと勉強になりました。みんな、口にふくんですぐ捨て

るのです、ひろって行こうかと思うくらい衰弱していましたが、落ちてるのを拾ってでも前に前に

少しでもという気持ちはありました。29キロの関門を貯金5分くらいで通過し、脱落者を拾うバスが

くるまで絶対に歩みは止めないと思って歩いたり、走ったりを繰り返しました。39キロの関門

数キロ手前、「もう、あかん」と思いかけていたら前に「天然食人」の文字が見えるじゃないですか

そうです、三崎からは三代目のほかに阿部君、山下さん、宗さんが出場していたのです。
(宗さん以外みんな初出場でした。)

その背中は阿部君でした(三代目が「天然食人」のTシャツで走って三崎の宣伝をしたいと
言ってたので、彼は三代目の気持ちを組んでくれてわざわざTシャツを買って着てくれたのです)

「がんばらんか」と歩いてる三代目の背中をたたいて走り去っていた(27キロ地点くらいで)

彼が前で歩いていたのです。これで、かなり勇気付けられました、これならいけると。

2人で時計をみつつ、計算しもって、一緒に歩きだし走り出しました。2人で39キロの関門を

クリアした後、左手に見慣れた顔が????。
(白バイで先頭を先導していたお兄さんでした(しかもうちのご近所で先輩のK・S君です)
三代目が「○○君」と声をかけたが気づかれず、もう一度呼ぶ気力なくて、白バイをバンバン
たたくと、おどろいたようで「あっ、○○、すごいやん」)

その後、気づいてもらって満足した三代目はてくてく歩きながら前へ前へ(残り時間30分)

歩くとたった3キロなのにけっこう時間がかかる、時間を見つつ、また走り、体力落ちてまた歩く。

これの繰り返し。後ろをふりかえる余裕はまったくなし、後方からバイク音がブーン、ブーンと。

「何でおれらの後ろにくるんや、もっと後ろのやつおるやろ、後ろにつけ、後ろに(怒)」と

心の中で思いつつも時間的にも、気持ち的にもふりかえる余裕なし。
(あとでK・S君に聞いた話:39キロ地点で待機してたのは最後尾のランナーの後ろについて
トラックはいるまではしらないかんかったとのこと、「おまえ全然ふりかえらんけん、マイクで
がんばれ言うてやろうかおもたけど、公共のものやからさすがにやめといた」とK・S君
そうとはしらずありがとうございました、われわれが最後やったんやね)

最後トラック入るまでに何故か頭は働いていて、ゴールは2人で手をあげて同時にゴールで

めだとうと勝手にシナリオつくってたら、今まで死にかけやった阿部君がトラックを見た瞬間

燃え上がったらしい「田村君、オラ行くで!」とすごい勢いでラストスパート!一気に5人くらい

抜き去ってゴール!かってにシナリオ描いて悦にひたっていた三代目にラストスパートかける

余裕などあるはずがなく、見事、「1位」でゴール!記録は3時間57分(一応4時間以内)。

三代目はラストランナーの栄誉に輝き、マスコミのみなさんにストロボの嵐で迎えて

いただきました。出場する以上はタダでは帰らんとおもっていた三代目は「みさき天然食人」

のTシャツに自前の「天然食人のHPアドレス」と「うにまんじゅうの写真とHPアドレス」を

プリントしていたのでいい宣伝になったと安心してその場に倒れました。

足が自分の足ではないような感覚でした。しかし、完走できてよかった。

39キロ越えた地点で正直、「ここでリタイアしたら来年またチャレンジせなあかん、絶対

完走せな」と思ってがんばりました。これで目標は達成したので、来年も走るかどうかは

まわりのみんな次第という安気なところです。練習で右ひざに痛みが慢性的にのこりましたが

ひざの痛み以上に貴重な経験と達成感がえられ満足しています。

三代目を応援してくれたみなさん、支えてくれた家族にこのコラムを捧げます。

               不純な動機でゴメンナサイ。

(その後、調子に乗って4月に松野町のハーフマラソンも走ってきました))